序章:予期せぬ再開と新たな決意
高校最後の夏。完全燃焼とは言い難い形で、私の高校野球は幕を閉じました。目標としていた場所には届かず、悔しさとやりきれなさが入り混じった複雑な感情だけが残りました。「もう、野球はいいかな…」。大学進学を控えた私は、あれほど熱中していた野球から、少し距離を置こうと考えていました。大学では新しいことに挑戦しよう、そんな風に気持ちが傾いていたのです。
しかし、大学入学後、思わぬ転機が訪れます。キャンパスで偶然再会したのは、高校時代の野球部の先輩でした。彼がこの大学の軟式野球部に所属していることを知り、驚くと同時に、少し懐かしい気持ちが込み上げてきました。
「お前も大学で野球やらないか?一緒にやろうぜ!」
先輩からの熱心な誘い。正直、迷いました。一度は離れようと思った野球の世界。しかし、尊敬する先輩の言葉と、心のどこかにまだ燻っていた野球への未練が、私の心を揺さぶりました。数日考えた末、私は先輩の誘いを受け、軟式野球部の門を叩くことを決意します。
「やるからには、中途半端は嫌だ。もう一度、本気で野球に向き合ってみよう」
高校時代の不完全燃焼を乗り越え、新たな舞台で再び野球に打ち込む覚悟を決めた瞬間でした。これが、私の大学野球、そしてその後の草野球へと繋がる道のりの始まりとなったのです。
第一章:大学軟式野球と「A球」の壁
先輩の誘いを受け、新たな決意と共に飛び込んだ大学の軟式野球部。しかし、そこで私を待っていたのは、想像していた「本気」の舞台とは少し異なる現実でした。まず驚いたのは、その活動頻度です。高校時代はほぼ毎日練習があったのに対し、大学の部活動は週に3日程度。もちろん、学業との両立を考えれば妥当な日数なのかもしれません。しかし、高校まで全力で野球に打ち込んできた私にとって、そのペースはあまりにも緩やかに感じられました。
「週3日か…。これじゃあ、体がなまってしまう。もっと練習したいのに」
内心、そんな物足りなさを感じずにはいられませんでした。練習内容も、高校時代のような追い込むメニューは少なく、どこか「楽しむ」ことに重きが置かれているような雰囲気。もちろん、それ自体が悪いわけではありません。しかし、「やるからには本気で」と決意した私の内なる熱量は、満たされるどころか、日増しに強くなっていきました。
さらに、私を悩ませたのが、大学軟式野球で主に使用されていた「A球」というボールの存在でした。高校まで硬式球に慣れ親しんできた私にとって、このA球は全くの別物。ゴム製で中空構造のA球は、硬式球の「カキン!」という乾いた打球音とは違い、「ボコッ」という鈍い音がします。打っても飛距離が出にくく、芯で捉える感覚を掴むのが非常に難しい。守備でも、その独特の弾み方に最初は戸惑いました。特にイレギュラーバウンドが多く、ゴロ処理一つをとっても硬式球とは全く異なる神経を使う必要があったのです。
「このボール、どうやって打てば飛ぶんだ…?」「守備も感覚が全然違う…」
練習だけでは、このA球に慣れるには限界があると感じました。打撃にしろ守備にしろ、このボールの特性を体に染み込ませるには、実践、つまり試合での経験を数多く積むことが不可欠だと痛感したのです。
「練習量が足りない。A球にも慣れない。このままじゃ、高校時代の不完全燃焼どころか、どんどん下手になってしまう…」
焦りと渇望が、私の心を支配し始めていました。
第二章:新たな挑戦の舞台、草野球へ
「大学の部活以外でも、もっと野球ができれば…」
そんな風に、大学での野球活動に物足りなさを感じ、A球への慣れや試合経験不足に悶々としていたある日のこと。転機は本当に意外な形で、そして少しばかり強引に掴み取りに行くことになりました。たまたま同じアルバイト先で働いていた、高校時代の野球部の後輩との雑談中の出来事です。
彼が、「実は高校の同級生に、週末に活動している草野球チームに誘われているんですよ」という話をしているのを耳にしたのです。何気なく「へえ、どこの誰に誘われてるの?」と聞いてみたところ、驚くべき事実が判明しました。なんと、その後輩を誘った友人というのが、私の高校時代の野球部の同級生だったのです!
「えっ、あいつが!?」
思わぬ偶然に、私は声を上げそうになりました。まさか、こんな形で同級生の名前を聞くとは。そして、彼が今も野球を続けていることを知り、嬉しく思うと同時に、私の心に燻っていた「もっと野球がしたい」という炎が一気に燃え上がりました。「試合経験を積みたい」と渇望していた私にとって、それはまさに天啓のようであり、不思議な縁を感じずにはいられませんでした。
「同級生がやっているチームなら、なおさら面白そうだ!これはチャンスかもしれない!」
いてもたってもいられなくなった私は、後輩がその同級生から誘われている、まさにその話に割って入る形で、「実は俺も大学の野球に物足りなさを感じていて、試合ができる場所を探しているんだ。悪いんだけど、その同級生(彼の名前)に話を通して、チームの見学に俺も連れて行ってもらえないだろうか?」と、半ば強引にお願いしたのです。後輩を差し置いて先輩が同級生との繋がりに割り込むような形になり、今振り返れば少し厚かましい頼み方だったかもしれません。当時の私は、それほどまでに試合経験に飢えていたのです。
幸いにも、後輩は「えっ、そうなんですか!全然いいですよ!〇〇さん(同級生の名前)にすぐ連絡してみます!」と快く引き受けてくれました。そして、連絡を受けた同級生も、「おー、久しぶり!お前も野球やりたいのか!ちょうど人が足りなくて困ってたんだよ、最高のタイミングだ!ぜひ見に来いよ!」と、私の突然の参加希望を二つ返事で歓迎してくれたのです。その懐の深さと、予期せぬ偶然が繋いだ縁に、本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
そして後日、私は後輩と共に(そして同級生に手引きしてもらって)、その草野球チームの試合を見学する機会を得たのです。グラウンドに足を踏み入れると、そこには大学の部活とは明らかに違う、活気と和やかさが同居する独特の空気が流れていました。年齢も職業もバラバラな選手たちが、実に楽しそうに、それでいて真剣に白球を追いかけている。エラーをしても怒声が飛ぶのではなく、「ドンマイ!」「次、頼むぞ!」と笑って励まし合う。そんな肩の力が抜けた雰囲気。
しかも、後から詳しく話を聞くと、このチームは単に楽しいだけでなく、結成から20年近く続く伝統あるチームで、地域の大会では常に上位争いに加わるほどの実力も兼ね備えているというのです。 楽しむときは思い切り楽しみ、締めるところは締めて勝利を目指す。そのメリハリの利いた文化と確かな実力が、当時の私には非常に魅力的でした。もちろん、そこには久しぶりに再会した同級生の、生き生きとプレーする姿もありました。
「ここだ。俺が求めていたのは、こういう場所かもしれない」
このチームなら、素晴らしい仲間たちと楽しみながら思い切り野球ができるし、レベルの高い環境で自分を磨き、渇望していた試合経験も豊富に積める。そう確信した私は、その日のうちに「ぜひ、このチームでプレーさせてください!」と伝え、加入を決めました。
週末の試合が主な活動だったので、平日の大学の部活との両立も心配ありませんでした。さらに幸運だったのは、チームが特定の野球連盟に所属していなかったことです。これにより、私が大学軟式野球連盟に籍を置いていても、規則上の重複加盟の問題などが一切発生せず、気兼ねなく両方の活動に打ち込むことができました。 こうして、週末は草野球チームで質の高い実践経験を積み、平日は大学の部活で基礎技術や体力向上に励むという、私にとって理想的な野球漬けのサイクルが、再び回り始めたのです。
第三章:草野球がもたらした二つの成長
草野球チームでの日々は、私の野球選手としての成長、そして一人の人間としての成長に、予想以上の大きな影響を与えてくれました。
まず、野球選手としての成長です。地域の大会で上位に入るような実力のあるチームだったこともあり、対戦相手のレベルも高く、草野球の最大の魅力の一つである、対戦するピッチャーのタイプの幅広さを存分に味わうことができました。大学野球では、ある程度レベルが均質化されている側面がありますが、草野球では本当に多種多様な投手と対戦する機会がありました。ある時は、球速は90キロ程度でも、老獪な投球術と絶妙なコントロールで打者を翻弄するベテラン技巧派投手。またある時は、130キロを超えるストレートで押してくる若手の速球派投手。他にも、独特のフォームの投手や、多彩な変化球を操る投手など、毎週のように新しいタイプの投手と対戦することで、私の打席での思考は大きく変化しました。
「この投手は、このカウントで何を投げてくるだろう?」「この球筋なら、こう対応しよう」
力対力だけではない、駆け引きの面白さ。状況に応じた打撃スタイルの変更。これらは、単に大学の練習だけでは得られなかったであろう貴重な経験でした。多様な投手と対戦する中で、自然と対応力が磨かれ、配球を読む力や、どんなタイプの投手にも臆せず立ち向かう精神的な強さが身についていったのです。これは、大学の部活の試合でも確実に活かされました。
そして、もう一つ、草野球が私にもたらした大きな財産は、野球以外の部分での成長、特に「社会人基礎力」とも言えるコミュニケーション能力の向上でした。結成20年近い歴史を持つチームには、大学生の私から見れば親世代のような大ベテラン選手から、同年代の社会人、自営業の方、公務員の方など、本当に様々なバックグラウンドを持つ人々が集まっていました。もちろん、そこには高校の同級生や後輩もいましたが、大多数はそれまで接点のなかった方々です。試合後の反省会や、時には飲み会の席などで、彼らと野球の話はもちろん、仕事の話、家族の話、趣味の話、時には社会情勢に至るまで、実に幅広い話題について語り合う機会に恵まれました。
最初は、年上の方々と何を話せばいいのか戸惑うこともありました。しかし、皆さんが気さくに話しかけてくれ、様々な経験談や価値観に触れる中で、自然と会話の引き出しが増えていきました。異なる世代や立場の人と円滑にコミュニケーションをとる術、相手の話を真摯に聞き、自分の意見を分かりやすく伝える力。これらは、間違いなく草野球での多様な人々との交流を通じて培われたものです。
終章:草野球は人生の縮図だった
大学を卒業し、社会人となった今、草野球で得た経験がいかに貴重なものだったかを改めて実感しています。
多様な投手との対戦経験から得た対応力や思考の柔軟性は、仕事における予期せぬ問題への対応や、多角的な視点を持つことに繋がっています。そして何より、幅広い年齢層のチームメイトとの交流で培われたコミュニケーション能力と社会性は、職場での人間関係構築や、顧客との円滑なやり取りに、計り知れないほど役立っています。様々な年代の人と臆せず話せること、相手の立場を理解しようと努める姿勢は、学生時代の私が想像していた以上に、社会で生きていく上で重要なスキルでした。
草野球は、私にとって単に野球の試合経験を積む場所ではありませんでした。それは、多様な価値観に触れ、コミュニケーションを学び、社会性を身につけるための、もう一つの「学び舎」だったのです。大学の部活動だけでは得られなかったであろう、この貴重な経験が、私の大学生活を何倍も豊かにしてくれました。
もし、今あなたが大学生で、「もっと野球がしたい」「今の環境では物足りない」「もっと実践的な経験を積みたい」と感じているなら、草野球チームへの参加を考えてみることを強くお勧めします。そこには、野球の技術向上はもちろんのこと、あなたの将来にとって大きな糧となるであろう、素晴らしい出会いと学びが待っているはずです。それはきっと、あなたの人生をより豊かに彩る、最適な選択の一つになると思います。
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