野球と人生の交差点

悩んでるのは、あなただけじゃない。草野球と人生のリアルを語るブログ。

「草野球が教えてくれた、人生の“延長戦”の楽しみ方」

「カキィィン!!」
澄み渡るような金属音を残し、白いボールが高く舞い上がった。打球はライトの頭上を大きく超え、ぐんぐん伸びてフェンスに到達した!二塁ランナーが、チームメイトの声援を受けながら懸命にホームへ還ってくる。僕も必死に走り、勢いよく二塁ベースに到達し、ベース上で大きくガッツポーズを作った。ベンチやスタンドから沸き起こる割れんばかりの大歓声が一つになって耳に飛び込んでくる。勝ち越しの2点タイムリーツーベースヒット。これが、決勝点となった。

顔を上げた僕の視界は、驚くほどクリアだった。二塁ベース上で、突き上げた拳が震えている。喜び、安堵、感極まる様々な感情が込み上げてきたが、それ以上に、僕の心を支配していたのは、えもいわれぬ「解放感」だった。―まさか、あの日の呪縛が、こんな形で解けるなんて。しかも、この場所で。

あの日の呪縛

今でも瞼に焼き付いて離れない光景がある。むせ返るような夏の熱気、西日に長く伸びる影、乾いた土の匂い。それは、僕にとっての中学野球、最後の夏。地区予選のリーグ戦、もう一敗もできない崖っぷちの試合だった。決勝戦のような華やかな応援はなく、聞こえるのはベンチの声と、フェンス越しに見守る数少ない保護者たちの固唾を飲むような声援だけ。痛いほどの静寂と独特の緊張感がグラウンドを支配していた。

七回を終えても決着がつかず、試合は特別延長、タイブレークへ。そして迎えた延長8回裏、僕たちの最後の攻撃。表に2点を勝ち越され、後がない。粘って掴んだツーアウト満塁のチャンスで、無情にも打順が僕に回ってきたのだ。二点を追う場面。ここで打てなければ、僕たちの中学野球は終わる。チームの、そして僕自身の運命がかかった一打。相手ピッチャーがセットポジションに入る。心臓の音がやけに大きく響き、バットを握る手に嫌な汗が滲む。逃げ出したくなるほどのプレッシャー。「やるしかないんだ」と何度も自分に言い聞かせ、バッターボックスに深く足を踏み入れた。

けれど、現実は残酷だった。相手エースが投じた勝負球は、アウトコースへの鋭いスライダー。外角低め、ストライクゾーンぎりぎりへ吸い込まれていく。手を出すか、見送るか。一瞬の迷いが判断を鈍らせる。あまりにも厳しいコース、そしてキレのある変化。結局、僕はただ、それを見送ることしかできなかった。バットは肩に乗ったままピクリとも動かない。

「ストライーク!バッターアウト!」

非情な審判のコール。バァン!と乾いたミットの音が、静かなグラウンドにやけに大きく響き渡る。マウンドに駆け寄り歓喜の輪を作る相手チーム。静まり返る僕たちのダッグアウト。呆然と立ち尽くす耳には、もう何も入ってこない。グラウンドに崩れ落ちたい衝動を、歯を食いしばって必死で堪えた。

これで、僕らの中学野球は終わったんだ。僕の、情けない、最後の見逃し三振で。

整列に向かう足取りは鉛のように重かった。相手チームと握手を交わすときも、俯いたまま。ベンチに戻る途中、気づけば、頬を熱いものがとめどなく伝っていた。悔しくて、情けなくて、こらえきれず、自然と涙があふれてきた。あの時の涙の味は、学生時代を通して、いや、卒業してからもずっと忘れられなかった。

燻る想い、再びグラウンドへ

「高校で必ずリベンジする」
試合後のミーティングでそう誓った僕は、高校で硬式野球部へ。朝から晩まで泥まみれになって白球を追い続けた。大学では軟式野球を選び、またグラウンドに立った。あの夏の日から、悔しさを忘れた日は一日もなかったはずなのに…。結局、僕はあの日の“借り”を返すことができなかった。大事な場面で打てない。チャンスで力が入りすぎたり、逆にプレッシャーに押しつぶされたり。中学時代のあの見逃し三振の残像が、まるで解けない魔法か呪いのように、僕にまとわりついていたのかもしれない。ヒーローになんてなれなくていい。ただ、チームの勝利に貢献したかった。仲間と喜びを分かち合いたかった。そんなささやかな願いさえ、学生時代の僕は叶えることができなかったのだ。

「野球はもう十分だ」
大学を卒業する頃には、自分にそう言い聞かせたつもりだった。この消化不良感も、社会の荒波に揉まれればいつか薄れるだろうと。でも、心のどこかで燻る、満たされない気持ち。仕事に打ち込んでも、友人と酒を酌み交わしても、何かが足りないままだった。

そんな時、一本の電話がかかってきた。大学時代の後輩からだ。
「〇〇さん、実は今度、軟式野球で全国大会を目指すチームを作るんです。一緒にやりませんか?」
「全国大会を、目指す…?」
その言葉を聞いた瞬間、僕の心臓はドクンと大きく高鳴り、まるで止まっていた時間が再び動き出したかのような感覚に襲われた。忘れようとしていた、いや、心の奥底に固く封印していたはずの、あの日の悔しさ。グラウンドに置き忘れてきた自分。燻っていた野球への情熱が、その一言で、堰を切ったように一気に燃え上がった。

プレッシャー?不安?もちろんゼロではなかった。でも、後輩の真剣な声と「全国大会」という眩しい響きの前では、些細なことに思えた。むしろ、これこそが、僕が心のどこかでずっと待ち望んでいた「リベンジ」の舞台ではないか?もう一度、本気で野球と向き合い、あの頃の自分を超えるための、最後のチャンスではないか?迷う理由はなかった。

「やるよ!やらせてくれ!」
僕は、後輩の言葉を遮るように、食い気味に即答していた。電話口で、興奮を抑えきれずに声が上ずるのがわかった。「全国、目指そうぜ!俺も、絶対にその一員として戦いたい!」心の奥底で凍てついていた情熱が、溶岩のように熱く、僕の全身を駆け巡った。過去の後悔を言い訳にするのは、もう終わりだ。あの日の涙を、今度こそ力に変えて、新たな舞台へ挑むんだ。

そうして、「全国」を目指す本気の軟式野球との、新たな、そして情熱的な出会いが始まった。

“あの頃”とは違う世界

グラウンドには、“あの頃”とは違う種類の真剣勝負の世界が広がっていた。
「全国を目指す」だけあって、集まったのは全員が年下の実力者ばかり。練習も試合も学生時代以上にレベルが高く、発足当初こそミーティングはなかったものの、年下の彼らからヒシヒシと伝わる『全国へ行くんだ』という意識の高さ、そのギラギラとした気迫はチームのスタンダードだった。だが、不思議と中学時代に感じたあの息苦しいプレッシャーはなかった。それは、互いの実力を認め合うからこその信頼感か、あるいは大人になった僕自身の変化なのか。結果を求める厳しさの中にも、確かに“あの頃”とは違う空気が流れていた。

気づけば、日曜日の朝、ユニフォームに袖を通すのが、僕にとって最高のスイッチになっていた。仕事の疲れも、日常の悩みも、グラウンドの土と汗、そして仲間たちの笑顔が、きれいに洗い流してくれる。「もう一度、上手くなりたい」「このチームの力になりたい。全国へ行きたい」。年齢を重ねても、そんな風に情熱を燃やせる場所がある。それは、僕にとって何物にも代えがたい、大きな発見だった。

因縁の地で

そして、その変化を僕自身が最も強く実感する瞬間が訪れた。チームを結成して2年目の夏。僕たちは、それなりに歴史のある大きな大会で、苦しい試合をいくつも乗り越え、準決勝まで駒を進めていた。試合は終盤、1点を争う緊迫した展開。同点で迎えた7回裏、ワンアウト二塁。ここで監督から声がかかった。「代打、〇〇!」

指名された瞬間、心臓が大きく跳ねた。大事な場面での代打。学生時代なら、きっと過剰なプレッシャーに押しつぶされていたはずだ。でも、不思議と今は違った。「よし、やってやろう」という静かな闘志と、「チームのために、自分の仕事をしよう」という覚悟があった。

バッターボックスへ向かう途中、ふと球場全体を見渡した時、僕は息を呑んだ。この景色、この雰囲気…間違いない。ここは、あの中学最後の夏、僕が見逃し三振をして、涙を流した、あの球場だったのだ。まるでフラッシュバックのように、あの日の光景が蘇る。外角低めに消えるスライダー、審判のコール、相手の歓声、自分の涙…。一瞬、足がすくみそうになった。けれど、次の瞬間、僕は強く首を振った。「違う、今の俺はあの頃とは違うんだ」と。

解き放たれた瞬間

打席に入り、深く息を吸う。相手ピッチャーは、勢いのあるストレートを投げる好投手だ。でも、恐怖心はなかった。狙い球を絞り、自分のタイミングで、自分のスイングをする。それだけを考えた。そして、カウント2ボール1ストライクからの4球目。インコース高め、少し甘く入ったストレート。僕は、無心でバットを振り抜いた。

(冒頭の決勝打の描写へ繋がる)
…二塁ベース上で突き上げた拳が震えている。…長年心を縛り付けていた重い鎖が、カシャンと音を立てて外れたような、そんな気がした。過去を消すことはできない。でも、あの日の涙の意味が、確かに変わった瞬間だった。ようやく、僕はあの日の自分を、少しだけ許せるような気がしたのだ。

ベンチに戻ると、仲間たちがハイタッチで迎えてくれた。「ナイスバッティング!」「よく打った!」後輩たちの笑顔が眩しい。年齢も立場も関係なく、ただ一つの勝利に向かって喜びを爆発させる。これこそが、僕が求めていたものなのかもしれない。

青春の後悔は、消せない。でも、意味は変えられる。

「何も残せなかった」と思っていた学生時代の野球。あの最後の打席は、僕にとってあまりにも苦い記憶だった。でも、あの悔しさ、あの涙があったからこそ、僕は野球から完全に離れることができなかったのかもしれない。そして、あの経験があったからこそ、今のこのチームで、仲間たちと野球ができることの喜び、一打の重み、そして何より「楽しむ」ことの大切さを、何倍も深く感じられるのだと思う。

草野球は、過去をやり直すためのタイムマシンではない。けれど、あの頃の自分と再会し、「お前がいたから、今の俺がいるんだ。よく頑張ったな」と声をかけながら、「今」この瞬間を最高に輝かせ、未来へ向かって歩き出す力をくれる場所なのだ。

人生のグラウンドは続く

もし、あなたも心のどこかに、青春時代の“忘れ物”があるのなら。
大丈夫。人生のグラウンドは、まだまだ、どこまでも続いています。
大切なのは、もう戻る理由じゃない。
ほんの少しの「やってみたい」という気持ち。
あるいは、心の奥底で燻っている小さな火種に気づくこと。
その一歩が、あなたの「今」を、そして「過去」の意味さえも、きっと輝かせるはずだから。

僕にとって、この週末のグラウンドが、かけがえのない宝物になったように。

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